No.3 ビラ・アドリアーナ
廃虚の夢

作家の辻邦生氏は、この廃墟の醸し出す夢を、夏の烈日が西に傾く頃に味わいたいという願望があったと言います。ローマ帝国の絶頂期、足元から静かに崩れ始めていた時期を、夏の盛りの午後の強烈な日差しに重ね合わせたのでしょう。

  この写真も夏の長い午後に訪れた時のものです。激しい雨の後でした。西向きのテラス。向いの丘の遠望。矩形の長大な池。崩れかけた古代の壁。糸杉、笠松、夾竹桃、蔦。剥げ落ちた磨きのかかった大理石。雨の後だというのにからからに乾燥した大気。
  皇帝ハドリアヌスが軍旅の先で見た建物の思い出を別荘として再現したという、用途を持たない建築群は廃虚になる前から夢のようなものでした。が、乾いた光に照らされた壁は、儚さよりむしろ強い存在感をもっていました。

 

ギリシャの遺跡とローマの廃墟

ギリシャ神殿は切出した石をそのまま仕上げたムクの建築ですが、ローマ建築は構造躯体と仕上をわけて、別の材料と職人でつくったいわばハリボテです。   2000年の風雨に晒されてもムクの素材には建築当初の残り香がありますが、仕上が剥げ落ち躯体のレンガが剥き出しになったローマ建築は創建時とは別の物に変容してしまいます。
  18世紀になって、ピラネージがビラアドリアーナに廃虚美を見い出し、欧州各地の庭園において人工の廃虚が作られ続けた根源がそこにはあるのでしょう。