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国文学者である林望さんの風景論はその土地の文化と風土との結びつきを平易な言葉で説いていて説得力があります。
英国には日本でいう富士山のような典型的な名勝がない。そのかわり名もない場所であっても国土全体が美しい。例えば年老いた丘の連続、累々たる石の原を覆う牧草、ピクチャレスクな村々の佇まい。それは英国の国民が永年育んできた風景なのだ。
翻って我が国には、名のある名勝はあっても、無名の美しい風景を無名のままで美しいと感ずる習慣がないという。 |
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つまり名勝には、吉野の桜、立田川の紅葉などのように、画題もしくは枕詞のような決まり事があり風景の見方が固定化されてしまい、なんの謂われもない風景を見る目が育たなかったというのです。
しかし、無名の場所にも日本人が育ててきた美しい風景というものがあるように思われます。これは岩手県の胆沢郡の田園風景。蓑をかぶった人影のように見えるのは稲掛け。穫り入れの終わった田圃に一定の間隔で霧の中に立っている様子は、初めて見るのに懐かしく感じられる。日本の湿潤な風土が育てた美しい風景ではないでしょうか。 |
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