BackNumber p.1 / p.2 / p.3 / p.4 / p.5 / p.6 / p.7/ p.8 / p.9 / p.10 / p.11 / p.12 / p.13 / p.14 / p.15 / p.16 / p.17

         / p.18 / p.19 / p.20 / p21 / p22 / p.23 / p.24 / p.25 / p.26 / p.27 / p.28

p.5
2000/8/27 日本がまだ若かった頃 2000/9/3 御苑が構想した大緑地 2000/9/10 大温室 19世紀の残像
新宿御苑の大木戸門の前に区役所の分室があり上の階から眺めると、東京にもまだまとまった緑地があることがわかります。欧米の強国にのみ込まれないようにと国づくりをしていた明治時代。首都の姿もそのような目標から構想されていたことをこの広々とした緑が語っているようです。 明治期御苑の責任者は当地を代々木公園と繋いで一大庭園とする構想でした。結果的に接続部の土地は、明治神宮となって鬱蒼とした緑を現在に遺すことになったのですが。構想と異っていてもほぼ連続した広大な緑地の存在は創業期の日本の起業家精神の現れなのでしょう。時代の煮詰まった今、もう一度創業精神に戻って日本をやり直す時期に来ているように思います。「日本」を「自分」に置き換えて考えてみると...それはさらに切迫した現実なのです。

日常生活の中にはあまりない広大な緑のなかに建つ古めかしい温室。園芸品種改良は御苑の目的のひとつであったから温室があるのは理解できます。しかしこの温室をこの風景の中で眺めて入ると、19世紀半ば英国の万博の水晶宮の残像が今に生きているような落ち着いたエキゾシズムを感じます。