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2001/10/21 東京西郊の古都路地風:落合 2001/10/28 昭和初期の「住宅展示場」 2001/11/4 大戦の渦中での普請: 林芙美子邸

新宿の近くで妙正寺川が神田川に合流する落合のあたり。富士山の火山灰で出来た洪積台地を川が侵食して出来た傾斜地で、川にむかっていくつもの坂があります。山手通の西側の南傾斜の住宅地には単純に「一の坂」「二の坂」・・・と順番に坂に名付けられており、4番目の「四の坂」は石畳の坂道で京都を思わせる雰囲気を漂わせています。

目白通りと早稲田通りに挟まれたこの落合の地に昭和初期には目白文化村という新興住宅地が開発されました。大正末期の関東大震災後下町から移住する人や地方から来る新住民などが住んだようです。赤瓦とパラディオ風の窓にスタッコ仕上げのスパニッシュ風やハーフティンバーの英国風の家などさながら住宅展示場のようですが、半世紀の星霜を経て不思議な郷愁をかきたてられる場所になっています。

この落合の地を林芙美子は好きだったようです。昭和5年にこの地に住みはじめて落合地区内で二度転居し最終的に落ち着いたのが今記念館になっているこの住宅。建築し始めたのが第2次大戦開始直後、入居したのが太平洋戦争開始の昭和16年ですから世情騒然としたなかでの普請だったわけです。300坪の敷地にゆったりと建つ平屋和風の佇まいからは当時の緊迫感はなかなか想像出来ませんが。