昭和4年に起きた世界恐慌とその翌年に行われた日本の金解禁は、WTCテロ後の世界同時不況とその渦中での日本の不良債権最終処理とタイミングがよく似ています。金解禁は、趣旨は正しくても「暴風雨の中で窓を開け放つようなもの」といわれました。当時デフレで米価は2年で半分以下になり不況のアメリカが物を買ってくれなくなったので製造業は倒産し失業者が溢れた。今の世の中との類似が無気味。 |
先週今週と知人の通夜に列席しました。ふたりとも第一線で働いている人たちでした。特に昨日のひとはわたしと同年輩であり、前日まで元気に仕事をしていたという。「今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅」(小中英之)人生がはかないあっけないものだと思えてくる。 |
戦後経験したことのない深い不況に沈む日本ですが、夜の新宿を歩けば、とても不況とは思えない人並みの多さ。同じことが昭和初期にも言えます。昭和4年の「東京行進曲」の「シネマ見ましょかお茶飲みましょか」という歌詞からは、世界恐慌の年とは思えないゆとりを感じます。取付騒ぎの写真からは暗黒時代のイメージしかないのですが、その時代に生きる人はこちらが思うほど深刻に感じなかったのかも知れません。 |
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