この地は、駅を挟んで西が台地、東が低地で地形の違いがはっきりわかます。駅を上がった所から眺めると東側の景観は、建物で埋め尽くされた平野がまるでどこまでも続く海原のように見えます。実際、その昔縄文の頃にはここはひたひたと波の打ち寄せる海の入り込んだ場所だったようです。この広大な街並みをみていると、陸地を求める人間の営々とした努力のあとを感じます。 |
日暮里駅の西側の台地への坂の途中に紅葉坂という立て札が。曰く「江戸後期山崎某は天王寺うら秋色もっとも深し林間に酒を暖む。」和漢朗詠集の白居易「林間に酒を暖めて紅葉を焚く/石上に詩を題して緑苔を掃ふ」をひいたものでしょう。これはさらに「石に詩を題して過る枯野哉」という蕪村の句に繋がっていくもので、こういうイメージの積み重ねが日本人の感性を育んでいるし、それがまたさりげない坂の路傍に残っているのがいいですね。 |
ここは敷地の中を公道が通っていて墓域特有の暗さが余り感じられません。歴史のある墓地なのだろうけれど、鎌倉の有名な墓などで感ずるある種の「気」の強さのようなものはないようです。台地の上で水はけが良く日当たりもよい、住宅地にしたいような良好な立地条件もその理由ひとつでしょう。この地を愛好するひとが多いのもうなずけます。
|
 |